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◆お城でGO!~お宝突撃!~◆

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“お宝”へ突撃してまいりました。

日本国のお宝・彦根城

本日のBGMは、ジャズ・シーンで活躍するベーシスト、SEKOU BUNCH(セクー・バンチ)のファンクチューン、"Sun Goddes"でGO!(下のプレーヤーの再生ボタンを押そう!)



さて、その彦根城。
国内に12城しか無い現存天守を有する城であり、国の“お宝”、すなわち国宝です。
ユル~い“お城マニア”であるワタクシにとっては、駅近で、整備の行き届いた、あまり体力を削られない有難いお城。また、ユルさにおいては全国でも有数のマスコット、『ひこにゃん』にも会えるということもあり、突撃してまいりましたですよ。

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『お城ツアーズ』主宰のロンブー淳さんが説く、「足軽目線でお城を見る」で行きましょう。
画像最下部の現在地から本丸、天守閣まで突撃です。が…名城とはいえ、しょせんは平山城。しかもお城が完成したのは徳川家の天下が盤石となった頃のものですから、その趣は、戦闘用の“要塞”というよりも”政庁”だべ?…と、タカをくくってました。上の案内図を見た時点では。

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中濠を渡る橋から見た城内入り口、『佐和口多門櫓』です。

・・・・・。

お城好きの方ならもうお判りでしょう。
“政庁”では決してない佇まいですわ、コレ。先頭に立って突撃したくない造りです。

まず、入り口から先が『コ』の字型になっている時点で、それは100%戦闘用の備え。曲がった所で渋滞した敵勢を三方から攻撃する典型的な戦国期の城門となっています。

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近づいて左手部分。江戸時代からの現存で重要文化財とのこと。

窓の下の、四角い穴や三角の穴は、いわゆる狭間(さま)ですね。この穴から寄手に向かって鉄砲をバンバン撃ちかけるワケです。政庁でないことは明白です。

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対して右側は1960年に復元された部分。

すでに戦争の無い時代に建てられたものなので控えめですが、やっぱり狭間がついてます。
世が世なら、前から撃たれ、左右から撃たれ、この時点で足軽であるワタクシは一回討死してますね。変わり果てた姿で。

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一回死んでしまったことは無かったコトにして、いよいよ城内へ突入。すると…長~い平屋の建物(馬屋)が広がっています。

実はコレ、非常に珍しいものだそうです。城内に往時のまま残存する馬屋は、全国でもココ、彦根城のものだけ。元禄年間に建てられ、その後、歴代の藩主たちの乗馬が繋がれていたとのこと。これもまた重要文化財に指定されています。

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あ、馬。

・・・・・。

・・・。

…ウーム、サスガはお殿様の馬。良く馴致されています。
見知らぬ人間を見ても全く動じるところがありません。

・・・・・。



ピクリともしません。

・・・・・。

・・・。



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レプリカでした。

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湾曲した姿が美しい内濠です。

この濠を越えればいよいよ彦根城の懐。一度死んだとはいえ胸が高まります。


「城攻めぢゃー!」





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あ。『本日のひこにゃん』。

どこにいるって??城内の彦根城博物館??

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いた。

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いた。でもレプリカ。っつーか2D。

3Dのひこにゃん登場にはまだ時間があるから、それまでに城を落としてしまいましょう。

ハイ、城攻め再開!!

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再び足軽目線です。

・・・・・。

「まっすぐ撮影しなよ」って言いました?

・・・・・。

してるんです、これでも。これでまっすぐなんです。
つまり、こういう形の階段なんです。城への一本道が。

攻め入った足軽同士、きっとこんな会話をするでしょう。

「お前、フラフラ走るなよ!ジャマくさい!」
「そりゃこっちのセリフだ!ジャマくさい!」

味方同士でフラフラしながら。『幻惑させる作りになっている』とも知らずに。


そしてさらに極悪なのは、一見すると緩やかに見えるこの階段。
一気に行ける!とばかりに駆け上がっていくと…。

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階段の様相がいつの間にか変化し、角度は増し、歩幅も合わなくなっていって、軍勢の足が鈍るように作られているのです。ここで寄手の軍勢がつっかえていると…。

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その先の櫓から好き放題に銃撃されて終了。私も二度目の討死(結構な階段だった)。

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二度死んだことを無かったコトにして前進。しかし、この時点で、おそらく突破した殆んどの足軽たちが、「本丸はどこ??」状態になっていると思われます。あるいはベテランの足軽なら、「あの橋を左か右へ行けば本丸だ」と思うかもしれません。

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前進して見上げれば、橋の右側に門扉を備えた櫓。左側には何も無し。…と、来れば、橋をくぐって左へ進み、さらに橋を渡れば本丸だろうと、ベテランの足軽さんは思うでしょう。

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橋をくぐって左を見た、の図。

やはり進撃ルートはここです。登るべし。もう何度か死んでいますが。

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登ってきた先には、やはり先ほど見上げた橋、そして櫓の門です。
重厚な櫓に堅牢な門扉があるということは、その先に大事なものがあるという証。進むべし。

ちなみにこの櫓は、『天秤櫓』。秀吉が築城した長浜城から移築された櫓で、左右対称の天秤のような美しい姿からその名を付けられた櫓です。日本広しと言えども、このような形状の櫓を持っているのはココ彦根城だけ。当然、重要文化財に指定されています。

ハイ、その天秤櫓へ渡る橋の件。実は仕掛けがあって、緊急時にはその橋を落とせる仕組みになっていたとのこと。ここまで登って来て橋を落とされたらたまったものではありません。「飛び移れ!」と言われて飛び移れる距離ではないし、「直接よじ登れ!」と言われても、

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この高さだもの。登ってる間に頭と背中から好き放題に攻撃されて終了です。『命がいくつあっても足りない』とはまさにこのこと。仕方がないから生き返るのはやめて、亡霊となって先へ進みましょうかね。

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櫓の扉をこじ開ければ「あとは天守まで一直線!」…とはなっておらず、またしても虎口になっています。明らかに、『どうしたら効率良く人を殺せるか』というテーマに沿って造られた建造物です。彦根城は。ですので亡霊となって門をくぐるぜ~。ひゅ~どろりん。

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『一直線に天守』どころか、またもや階段、そして迎撃し放題の城壁群。えげつない。
とにかく登って、登って、登って~…

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ついに最後の関門たる櫓が右手に見えてきました。見えてきましたが、生身の人間がココまで来れるとは思えませんワ、まぢで。

とにかく、下から進んでいくと展望が全く効かないんだもの。そして城方からは(あとで判明したんだけど)寄手の動向が丸分かりなんだもの。どちらかと言うと、城作りも城攻めも得意でなかった(野戦が得意だった)徳川氏が、このような織豊セオリーを彷彿とさせる縄張りをしていたとは意外でしたね。

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最後の門、『太鼓門櫓』。

かつて櫓の中に太鼓があって、その太鼓が城内へ響いていた(らしい)ということです。
この門は、長年、彦根寺の山門を移築してきたものだと信じられていたのですが、昭和31年から行われた解体修理の際、これは山門ではなくどこかの城の城門だったことが判明。その出所は未だナゾのままだそうな。そしてコレも重要文化財。彦根城ハンパないって。

-----------

そんなこんなで、ついに、というかやっと、本丸へ突入です。







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本丸、そして彦根城の天守です。

・・・・・。

なんつーか・・・。

・・・・・。


なんと可憐な天守でしょう。


・・・・・。

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連続して重なり合う破風。表情を纏う花頭窓。
繊細かつ無駄のない意匠ではありませんか。こういうのを“美”と言うのです。

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右側へ回って見ると可憐な天守が一変、重厚な印象を与える作りに。見る角度によってこれだけ表情の変わる天守も、また大変珍しいのではないでしょうか。

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今度は下から。

・・・・・。

うーむ。

・・・・・。

足軽目線でも見惚れてしまう造形美じゃないですか。


美しい…


いや、見惚れていたら即終了。知らぬ間に天守から鉄砲の銃弾を浴びて討死でございます。
実はこの天守、天守のどこから鉄砲を撃って来るのか、外からは確認不能な構造になっているんです。徹頭徹尾、『どうやって効率良く敵を殺すか』を追求した城なんです。どこの軍勢を“敵軍”として考えていたんでしょう…。

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天守の中へ突撃。しかしここでもワタクシ、カルチャーショックを受けました。
建造物の柱に、曲がった木材を組み合わせて使うという発想が無かったもんで。

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ご覧ください、この急峻な階段!この階段もまた、階上から切って落とせる構造になっているという…。天守にまで攻め込まれてもなお、まだ敵を討とうという決して折れない戦闘意欲を感じますね。足軽じゃなくて良かった…。

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最後は『殿様目線』。天守内です。

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南東の眺望は彦根の中心街方面。

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南西は、かつて信長さんの築いた安土城があった方角ですね。

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西側は、日本一の大きさを誇る琵琶湖。グレイト。

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北側の眺望。画像右側には石田三成が居城を置いた佐和山が見えますね。栄枯盛衰…。

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最後にもうひとつ天守の偉観を。

ハイ、実はこの天守、彦根城のオリジナルというワケではなく、京極氏の大津城の天守を移築したものだったりします。
これまでに登場した門・櫓・天守と、やたら移築が多い理由は、それだけ早く防備を整えて、来る(豊臣氏やその旧臣)との戦いに備えたかったということでしょう。エコ目的もあったでしょうけどね。

---------

そんなワケで今回の『国宝突撃』レポートいかがだったでしょうか。
最後までお付き合いいただきまして誠に感謝。

え?ひこにゃん?

もちろん会って来ましたよっと。


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★★★★★★★★★★★★★★

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◆お城でGO!~夢のまた夢~◆

石垣山一夜城00

露と落ち 露と消えにし わが身かな

難波のことも 夢のまた夢

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村のあぶれ者から天下人へと上り詰めた、かの豊臣太閤秀吉の辞世です。

『朝露が日の出とともに消えてしまうような儚い人生だった。難波の栄華もまた夢のようだ』

……そんな歌意でしょうかね。“戦国一の出世頭”とか、あるいは“不世出の英傑”などと称された人物の辞世としては、いささかガッカリ感の漂う歌のような気もいたしますが、その一語一句から滲み出る、秀吉さんの“人間らしさ”には、私、心を打たれます。

…ハイ、本日は『お城探訪シリーズ』第二弾、神奈川県小田原市にある石垣山城(石垣山一夜城・太閤一夜城)をご紹介。BGMはボブ・ボールドウィンさんのスムースなナンバーで。



ハイ、んで、冒頭の画像。

秀吉さんの歌に出てくる“難波”は言うまでもなく大坂のこと。完成当時、三国(日本・中国・インド)において唯一無二のスケールを誇る巨城・大坂城から見下ろす難波の街並みは、まさしく天下人だけに許された大パノラマであり、さぞ壮観だったに違いありません。

しかしながら私は、秀吉さんにとって最も“夢のように感じられた”景色は、その大坂城から見る景色ではなく、冒頭の画像、石垣山一夜城から眺めた小田原の町だったのではないかと想像するのです。
天正十八年(1590年)、関白となって位人臣を極め、天下の兵を率いて催された小田原征伐。小田原城に籠る北条軍5万に対して、豊臣軍の兵数はなんと22万(!)。その大軍勢の全てが己が意志に従って動き、戦い、敵を圧倒するさまを望見したこの地こそ、それは『天下人のためだけに用意された』偉観ではなかったかと思うのです。

下の画像をクリックしてみてください。小田原城が見えますでしょ?

石垣山一夜城00

小田原城下を一望できるこの地は、元々は“笠懸山”というただの山でした。その山に、

「この山なら小田原城下も見下ろせるし、小田原からも見えるだろう」

…などと不思議なコトを言い出した秀吉さん。同伴の石工集団である穴太衆に、「この山ごと石垣の城にするゆえ石を切り出してまいれ」と指図すると同時に、「ただし小田原にはそれと分からぬようにせよ」と、これまた不可思議な命を下します。

総勢22万の大軍勢で城を囲ませて約三ヶ月の後、樹木を目隠し代わりにして石垣山城は完成。その夜、「今夜のうちに石垣山の周囲の樹を全て伐採せよ!」との命を下した秀吉さん。そして翌朝、小田原城内の無数の人々が、突如出現した巨大な山城を指さしながら慌てふためく姿を望見する秀吉さん。その得意や『思い見るべし』ですよね。

石垣山一夜城02

城の外郭部に当たる南曲輪の石垣です(クリックで拡大します)。

………いや、「石垣です」と言うのは簡単ですが、実はこれらひとつひとつの石は、元々ここにあった石ではありません。山の麓から切り出され、運び上げられた石なのです。

舗装道路が整備され、自動車という文明の利器を用いてさえ麓からココまで15分。そんなモノなど当然無い戦国時代に、この巨大な石を運び上げて、さらに城を築き上げるのにどれだけのマンパワーが必要だった事か…と、思って調べたら、動員された人数は延べ4万人だそうです。

石垣山一夜城04

入口からスグにお約束の山道です。

足腰とフトモモの筋肉に衰えを感じ始めた40台半ばの私を尻目に、このロケーションに明らかに相応しくないクツを履いた高齢者の方々がひょいひょいと階段を上っていきます。

・・・ええい、負けるものか!城攻めぢゃー!

石垣山一夜城06

…城…攻め…(;/д\)….。

・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・。

…いや、もォ、ず~っと登り道じゃねーか、と。

・・・・・。

“普段グツ”のご高齢の方々はとっとと先へ行ってしまうし、オイラどんだけ劣化してんだ?
運動不足◎ステッカーbyアホ研究所☆おバカminiシール通販☆

石垣山一夜城08

ちなみに、二人並んで歩くのがやっとの幅しかない歩道の脇には、ところどころ図のようにデンジャラスな箇所があったりします。築城以来、何度か見舞われた大地震の影響ですね。

『危険!』言われても、イザ崩れてきたらどうにもなりません。道狭いし。
『赤ちゃんが乗っています』と同じくらいコチラからは対処不能。

石垣山一夜城16

登った先に出現したのは、野球のグラウンドがすっぽり収まりそうな空間でした。
そう、ここは二の丸跡。1万㎡近い広大な敷地を持っています。

『馬屋曲輪』の別名を持っているとのコトなので、小田原征伐時には軍馬がワンサとひしめいていたのかもしれませんね。
秀吉さんの、「誰々を調略せよ!」とか、「佳いオナゴを連れて参れ!」なんていう、無茶な命令が早馬に乗って飛んで行く…。ああ、戦国ロマンだ。(上司は思いつきでものを言う

石垣山一夜城12

二の丸跡の南端には本丸があります。(画像奥の小高い部分)

石垣山一夜城14

本丸もまた石垣で覆われています。

実はこの石垣山城、関東で初めて造られた総石垣のお城だったんですね。開戦当時、北条氏の小田原城は土塁・空堀・盛土で造られた城ですから、北条軍の人々はその異様な建築様式に肝を潰したことでしょう。

ちなみに、画像右側の傾斜を登ると本丸です。豊臣軍本営の心臓部ですから、秀吉さん在城時には、多くの将兵が行き交い活気に満ち溢れていたに違いありません。しかし今は・・・。

石垣山一夜城20

『本丸跡』の石碑と…。

石垣山一夜城18

石垣山一夜城22

地面に咲き競うシャガの群れ。

芭蕉の、『つはものどもが夢のあと』…といった風情です。

石垣山一夜城24

本丸の広さは二の丸に次ぐ規模で、面積にして8千㎡弱。画像にある通り、天守まで備えた堂々たる構えだったようです。

得体の知れない謎の建築様式(石垣)と、見たこともない高層建築(天守)を目の当りにした北条氏は、ショックのあまりに士気はガタ落ち、降伏に至ったと言われています。

石垣山一夜城28

さて、この石垣山城のハイライト。実はコチラだったりします。

『井戸曲輪跡』(クリックして拡大してみて)。

-----------------------------

ここは石垣の保存状態が最も良い場所で、現在でも往時を偲ばせるに足る迫力があります。

拡大画像にあるように、螺旋状に下っていくと井戸があるのですが、その周囲を堅固な石垣が枡形(逆枡形?)状に造られているのです。築城以来多くの大地震を経験したにも関わらずこのクオリティ。当時の穴太衆の技術力の高さを窺い知ることができる貴重な史跡ですね。

石垣山一夜城30

それにしても、この井戸までの高低差のヤバイこと(下から見上げるとこんなです)。
汲んだ水は、みんなでバケツリレーみたいにして運んだに違いないですね。

石垣山一夜城31

最深部の井戸は、なんとまだ生きています!

この清水で、秀吉さんが茶会を催したり、淀殿がお顔を洗ったりしたのでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・。




















石垣山一夜城32


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

きったねーな、オイ。(;゜д゜)

・・・・・・・・・・・・・・。

たぶんココは当時と大差無いハズでしょう。
コケや枯葉、砂利や土、虫の死体なんかがイッパイ沈んでます。

淀君のイメージもブチ壊しですがな。



----------------------------------------------



さて、というワケで今回の探訪記いかがだったでしょうか(終わりかい)。

この石垣山城、現在は『石垣山一夜城歴史公園』となっており、近くに駐車場もあって、非常に良く整備されています。…が、「行ってみよう!」とお思いになった方に一点だけ。



車で行くなら箱根側(山側)から行きましょう。

海側から行くとどハマりします(経験者は語る)。



快適ルートで快適ドライブしてくださいね。


★★★★★★★★★★★★★★★


ご来訪ありがとうございました!
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◆呼んだのは誰!?◆

ymnk00.jpg

気付いたらココへ転がり込んでおりました。

年齢も場所柄もわきまえず、アゲアゲ状態で写真を撮りまくっていたのがいけなかったのか、あるいは、そこへ至る過程で脚力を消耗していたせいなのか、まるで見えない力に引っ張られるかのように、この場所へ滑り落ちてしまったのです。

ymnk01.jpg

振り返って仰ぎ見れば、同行者が呆れた顔でコチラを見ています。
「何をやってんだか…」という顔です。

ちなみに私も同感です。底がツルツルのドレスシューズで山歩きをしようという時点で失格。ちょっと呼ばれでもしたらバランスを崩すのも当たり前で滑り落ちるのも当たり前です。
目の前には高さ約2m、傾斜角50°以上の壁。足元注意。猛省です。…が、呼んだのは誰?

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ハイ、スベった場所はココ、静岡県三島市にある山中城。戦国時代末期、全国統一を進める豊臣秀吉と、関東の覇者・北条氏が激突した古城です。

今回は、お城にちなんで、チック・コリアとゲイリー・バートンの"Love Castle"をバックに、本ブログ初の“城攻め”(?)レポートをお届け。「読んでやってもよいぞ」という方は、の再生ボタンを押して画面を下へスクロールしてね。



さて、その山中城。正確に言うと現在は『山中城跡』です。

北条氏の滅亡と共に廃城となっていましたが、三島市によって発掘・復元され、今では北条氏の築城ポリシーを確認できる非常に見応えのある城址となっています。

ymnk03.jpg

実はワタクシ、ゆる~い“城まにあ”なのです(ゆるすぎて“マニア”とは名乗れない)。ですから、上のような鳥瞰図を見ると、ゆる~くテンションが上がります。

いや、それはともかくこの山中城、図の通りなかなか複雑・広大です。
国道1号線を挟んで右側が本丸。左側が岱崎出丸と呼ばれていた防御施設です。
ハイ、“岱崎出丸”と聞いてピン!!と来た方は、おそらく歴史にお詳しい方でしょう。そう、あの“槍の勘兵衛”こと渡辺勘兵衛が単騎で突入し、豊臣軍大勝利のキッカケを作ったのがこの岱崎出丸。今から、え~っと…423年前の話です。

ymnk04.jpg

いざ、城攻めぢゃー!!

三ノ丸の脇にある階段を100mほど上がり、二ノ丸へと向かいます。テンションは激高です。しかし体力はこの100mですでにガタ落ちです。山歩きですから。しかもドレスシューズですから。(濡れてるときはツルツルすべる―世界中に散らばる不特定多数の自分自身へ

ymnk05.jpg

城攻めぢゃ~。

西ノ丸の手前まで来ました。
だんだん元気が無くなってきていますがテンションはプチ高です。

右側の赤い矢印が元西櫓、左側が西ノ丸ですね。両所を隔てるV字型の切れ込みは人工的に穿たれた堀です。すなわちこのお城は、天然の山を城塞化した山城。重機も何もない戦国時代に、ナゼこんな大工事が出来たのか、ゆるい“まにあ”には想像もつきません。

ymnk06.jpg

展望を左方へ移すと、再びテンションのアガる光景が広がっていました!
山中城最大の名物である畝堀(うねぼり)です!

堀を仕切る畝の高さは2m。堀底から画像右手の西ノ丸へは9mの崖です。
今でこそ保護のための芝や植木が植えられていますが、戦国時代はむき出しの土。しかもこの土は、いわゆる関東ローム層の粘性の高い赤土ですから、ドレスシューズでなくてもツルツル滑ってどうしようもなかったことでしょう。もし私が当時の足軽だったとしたら、いかに大将から「登れ!」と命令されても、「ムリです!」がFAです。ゼッタイに登れっこないもの。
ダメ部下を再生させる上司の技術

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さらに歩道を進んでいくと、これもまた珍しい障子堀(しょうじぼり)が登場。その先には富士山が。テンションはさらにUP

ymnk08.jpg

西櫓から、これまで登って来た道を振り返ったところです。腿が痛いです大将。

ymnk09.jpg

同じく西櫓から。水が溜まっているのがお判りになるでしょうかね。

この障子堀、一部は水堀と用水池を兼ねていて、溜まっているのは湧水です。このような形式の堀は戦国の山城としては極めて珍しく、北条氏の城郭としても特異なものらしいです。

…しかしながら私、ココでふと思ったのです。

「よく考えると、堀の中にこんな畝を作ってしまったら、堀の中の自由は利かなくても、畝を伝って敵兵が渡ってしまうのでは?」…と。

一見すると畝は通路にも見えるし、いかにも「どうぞこの上を歩いてきてね」と言っているようにも見えます。「これじゃ意味ないじゃ~ん」と“まにあ”な私は考えました。すると…。

ymnk10.jpg

『(畝の)頂部の幅は約0.6メートルで丸みを帯びている』

ハイ、そこで私は想像してみます。
ツルッツルの赤土でできた、幅60cmの丸みを帯びた畝の上を、動きの不自由な重さ5~6kgの兵装をして、両手に数メートルの槍をつかんで走ったら・・・・・走ったら・・・・・。

・・・走ったら堀に落ちるわ、コレ。

しかも解説を読み進めていくと、

『もし人間が堀に落ちれば、脱出することは不可能だったと推定できる』

って、不可能ですか。そうですか。
さも渡れるかのように誘っておいて、いざ渡り始めたら即落下・脱出不可能とは、なんというえげつないトラップ。北条流築城術恐るべし。

そして、「ふむふむ。なるほど…」と足を延ばしていたら、呼ばれてズルッといきました。
そしてそのまま落下。呼んだのダレ!?

ymnk11.jpg

もう一度お見せしますが、目の前は高さ2m、傾斜角50°の壁です。

脱出不可能!?(;°д°)

ymnk00.jpg

左手を見上げると西櫓なのですが、角度が急すぎて見えもしないし登れもしない。

ymnk12.jpg

…しかし、この上部から弓や鉄砲で狙われたら、間違いなくあの世行きです。

当時の日本人の平均身長は156~157cmくらいと言われていますから、182(-10)cmの私よりも高く感じたハズ。しかも当時はツルンツルンの赤土。この場所で無念の死を遂げた足軽さん達が何人いたことか。

-------------------------------------------

結局、堀の端から端まで猛ダッシュして、這い上がりました。
落下したのが一番広い区画のこの堀じゃなかったら、助走もできないし、大変なことになっていたかもしれません。てか、私を呼んだのダレ!?ツレは「呼んでない」とのコトだけど。

ymnk15.jpg

無事脱出の後に訪れた北ノ丸跡です。

奥の方に見える御三方はお城整備の方々。この日、この時間は、一般見学の私ら三人と、この御三方の計6人だけがお城の住人(住人?)。静かなものです。
小田原戦役の時には、4千人の守兵が立て籠もり、そこへ7万2千人もの豊臣軍が殺到したとは思えない静かな佇まいですね。「この時代に生まれて良かった」と思わないとなぁ…。

ちなみにこの山中城。半日足らずで豊臣軍に攻め落とされてしまいました。
要するに、脱出不可能の堀に『人が満杯になるくらい』の人数が攻め込んだ結果です。

その後、本城の小田原城も開城。早雲公以来の関東の覇者・北条氏は歴史の中から永久に姿を消すことになりました。栄枯盛衰は世の習い。今、トピック頻りのお笑い国家も、季節外れな花火大会などに注力せず、和合の精神で歩むべきだと考えますが皆様は如何に?

ymnk18.jpg

最後に、西ノ丸の物見台より望む富士・愛鷹の山容です。

今回の“城攻め”レポート、いかがでしたか?
これから気候が良くなってまいりますので、機会があればあちこち城攻めに行こうかと計画中(“城まにあ”ですから)。そのうちまたレポートしようと思います。

それでは皆様お元気で!

★★★★★★★★★★★★★★★

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ヤセガエル

Author:ヤセガエル
神奈川県在住の一般市民(♂)。このブログで、音楽記事、音楽機材、星空や夜景の話題をお届けいたします。

音楽は、主にスムースジャズを中心にオススメCDのレビューを。音楽機材は、趣味のDTM・DAW、ベース、ギター、サックス等を取り上げています。
流星群情報も定期的にUPしていますので参考にしてくださいね!

 
 
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