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◆お城でGO!~夢のまた夢~◆

石垣山一夜城00

露と落ち 露と消えにし わが身かな

難波のことも 夢のまた夢

---------------------------------

村のあぶれ者から天下人へと上り詰めた、かの豊臣太閤秀吉の辞世です。

『朝露が日の出とともに消えてしまうような儚い人生だった。難波の栄華もまた夢のようだ』

……そんな歌意でしょうかね。“戦国一の出世頭”とか、あるいは“不世出の英傑”などと称された人物の辞世としては、いささかガッカリ感の漂う歌のような気もいたしますが、その一語一句から滲み出る、秀吉さんの“人間らしさ”には、私、心を打たれます。

…ハイ、本日は『お城探訪シリーズ』第二弾、神奈川県小田原市にある石垣山城(石垣山一夜城・太閤一夜城)をご紹介。BGMはボブ・ボールドウィンさんのスムースなナンバーで。



ハイ、んで、冒頭の画像。

秀吉さんの歌に出てくる“難波”は言うまでもなく大坂のこと。完成当時、三国(日本・中国・インド)において唯一無二のスケールを誇る巨城・大坂城から見下ろす難波の街並みは、まさしく天下人だけに許された大パノラマであり、さぞ壮観だったに違いありません。

しかしながら私は、秀吉さんにとって最も“夢のように感じられた”景色は、その大坂城から見る景色ではなく、冒頭の画像、石垣山一夜城から眺めた小田原の町だったのではないかと想像するのです。
天正十八年(1590年)、関白となって位人臣を極め、天下の兵を率いて催された小田原征伐。小田原城に籠る北条軍5万に対して、豊臣軍の兵数はなんと22万(!)。その大軍勢の全てが己が意志に従って動き、戦い、敵を圧倒するさまを望見したこの地こそ、それは『天下人のためだけに用意された』偉観ではなかったかと思うのです。

下の画像をクリックしてみてください。小田原城が見えますでしょ?

石垣山一夜城00

小田原城下を一望できるこの地は、元々は“笠懸山”というただの山でした。その山に、

「この山なら小田原城下も見下ろせるし、小田原からも見えるだろう」

…などと不思議なコトを言い出した秀吉さん。同伴の石工集団である穴太衆に、「この山ごと石垣の城にするゆえ石を切り出してまいれ」と指図すると同時に、「ただし小田原にはそれと分からぬようにせよ」と、これまた不可思議な命を下します。

総勢22万の大軍勢で城を囲ませて約三ヶ月の後、樹木を目隠し代わりにして石垣山城は完成。その夜、「今夜のうちに石垣山の周囲の樹を全て伐採せよ!」との命を下した秀吉さん。そして翌朝、小田原城内の無数の人々が、突如出現した巨大な山城を指さしながら慌てふためく姿を望見する秀吉さん。その得意や『思い見るべし』ですよね。

石垣山一夜城02

城の外郭部に当たる南曲輪の石垣です(クリックで拡大します)。

………いや、「石垣です」と言うのは簡単ですが、実はこれらひとつひとつの石は、元々ここにあった石ではありません。山の麓から切り出され、運び上げられた石なのです。

舗装道路が整備され、自動車という文明の利器を用いてさえ麓からココまで15分。そんなモノなど当然無い戦国時代に、この巨大な石を運び上げて、さらに城を築き上げるのにどれだけのマンパワーが必要だった事か…と、思って調べたら、動員された人数は延べ4万人だそうです。

石垣山一夜城04

入口からスグにお約束の山道です。

足腰とフトモモの筋肉に衰えを感じ始めた40台半ばの私を尻目に、このロケーションに明らかに相応しくないクツを履いた高齢者の方々がひょいひょいと階段を上っていきます。

・・・ええい、負けるものか!城攻めぢゃー!

石垣山一夜城06

…城…攻め…(;/д\)….。

・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・。

…いや、もォ、ず~っと登り道じゃねーか、と。

・・・・・。

“普段グツ”のご高齢の方々はとっとと先へ行ってしまうし、オイラどんだけ劣化してんだ?
運動不足◎ステッカーbyアホ研究所☆おバカminiシール通販☆

石垣山一夜城08

ちなみに、二人並んで歩くのがやっとの幅しかない歩道の脇には、ところどころ図のようにデンジャラスな箇所があったりします。築城以来、何度か見舞われた大地震の影響ですね。

『危険!』言われても、イザ崩れてきたらどうにもなりません。道狭いし。
『赤ちゃんが乗っています』と同じくらいコチラからは対処不能。

石垣山一夜城16

登った先に出現したのは、野球のグラウンドがすっぽり収まりそうな空間でした。
そう、ここは二の丸跡。1万㎡近い広大な敷地を持っています。

『馬屋曲輪』の別名を持っているとのコトなので、小田原征伐時には軍馬がワンサとひしめいていたのかもしれませんね。
秀吉さんの、「誰々を調略せよ!」とか、「佳いオナゴを連れて参れ!」なんていう、無茶な命令が早馬に乗って飛んで行く…。ああ、戦国ロマンだ。(上司は思いつきでものを言う

石垣山一夜城12

二の丸跡の南端には本丸があります。(画像奥の小高い部分)

石垣山一夜城14

本丸もまた石垣で覆われています。

実はこの石垣山城、関東で初めて造られた総石垣のお城だったんですね。開戦当時、北条氏の小田原城は土塁・空堀・盛土で造られた城ですから、北条軍の人々はその異様な建築様式に肝を潰したことでしょう。

ちなみに、画像右側の傾斜を登ると本丸です。豊臣軍本営の心臓部ですから、秀吉さん在城時には、多くの将兵が行き交い活気に満ち溢れていたに違いありません。しかし今は・・・。

石垣山一夜城20

『本丸跡』の石碑と…。

石垣山一夜城18

石垣山一夜城22

地面に咲き競うシャガの群れ。

芭蕉の、『つはものどもが夢のあと』…といった風情です。

石垣山一夜城24

本丸の広さは二の丸に次ぐ規模で、面積にして8千㎡弱。画像にある通り、天守まで備えた堂々たる構えだったようです。

得体の知れない謎の建築様式(石垣)と、見たこともない高層建築(天守)を目の当りにした北条氏は、ショックのあまりに士気はガタ落ち、降伏に至ったと言われています。

石垣山一夜城28

さて、この石垣山城のハイライト。実はコチラだったりします。

『井戸曲輪跡』(クリックして拡大してみて)。

-----------------------------

ここは石垣の保存状態が最も良い場所で、現在でも往時を偲ばせるに足る迫力があります。

拡大画像にあるように、螺旋状に下っていくと井戸があるのですが、その周囲を堅固な石垣が枡形(逆枡形?)状に造られているのです。築城以来多くの大地震を経験したにも関わらずこのクオリティ。当時の穴太衆の技術力の高さを窺い知ることができる貴重な史跡ですね。

石垣山一夜城30

それにしても、この井戸までの高低差のヤバイこと(下から見上げるとこんなです)。
汲んだ水は、みんなでバケツリレーみたいにして運んだに違いないですね。

石垣山一夜城31

最深部の井戸は、なんとまだ生きています!

この清水で、秀吉さんが茶会を催したり、淀殿がお顔を洗ったりしたのでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・。




















石垣山一夜城32


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

きったねーな、オイ。(;゜д゜)

・・・・・・・・・・・・・・。

たぶんココは当時と大差無いハズでしょう。
コケや枯葉、砂利や土、虫の死体なんかがイッパイ沈んでます。

淀君のイメージもブチ壊しですがな。



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さて、というワケで今回の探訪記いかがだったでしょうか(終わりかい)。

この石垣山城、現在は『石垣山一夜城歴史公園』となっており、近くに駐車場もあって、非常に良く整備されています。…が、「行ってみよう!」とお思いになった方に一点だけ。



車で行くなら箱根側(山側)から行きましょう。

海側から行くとどハマりします(経験者は語る)。



快適ルートで快適ドライブしてくださいね。


★★★★★★★★★★★★★★★


ご来訪ありがとうございました!
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テーマ : 城めぐり    ジャンル : 旅行

 

 



Trackbacks
小田原市エージェント:貴殿の記事ダイジェストをGoogle Earth(TM)とGoogle Map(TM)のエージェントに掲載いたしました。訪問をお待ちしています。
Comments
突然ですが、石垣が大好きです!

小田原の一夜城の話はわたしも聞いた事がありますが現存しているとは知りませんでした。
秀吉はこのとき愛妾や芸姑をたくさんつれて、まるで物見遊山のようだったと書いてあったのを思い出しました。

茶人の一茶も同行していたとか。
このときの一茶の言動がのちの切腹に結びついたと描かれているドラマもあったように思いますが、忘れてしまいました(汗)。

武家の銘家、北条さんも軍事衛星を持っていればと悔やまれます。
戦国後期に組まれた石垣ですが、急いで造ったので野面積みになったのでしょう。
ネットで弾くと関が原以降は野面積みの石垣が減ったそうです。
野面積みのほうが新しい組み方より、水はけがよく地震にも強いそうですね。

あひる
To あひるさん
あひる先輩、こんばんは!
ようこそお越し下さいました♪

そうなんです。現存していたのです。私もつい最近知ったのです(苦笑)。
小田原から箱根へ向かう途中に、案内板があることは知っていましたが、
実際に訪れたのは今年が初めてでして、非常に感動いたしました。

あひる先輩の仰る通り、秀吉さんにとってこの城攻めは、戦というよりも、
ほとんど物見遊山だったようです。自軍が22万人ですから当然でしょう。
負ける要素がどこにもありませんから。

石垣山城も、広義の意味においては秀吉さんの“お遊び”です。
現地に行って解ったことですが、ただ陣城を構築するのであれば、この
ように不便な立地でなくとも良いし、このように頑健な造りでなくとも充分
機能したはずです。『敵を、あっ!と驚かせてやろう』というイタズラ心が
伝わってくる、秀吉さんらしい“陽気な”お城ですね。

画像ではイマイチですが、実物の石垣はかなりの迫力ですよ。
“石垣大好き”なあひる先輩も大満足かも?


 

 

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ヤセガエル

Author:ヤセガエル
神奈川県在住の一般市民(♂)。このブログで、音楽記事、音楽機材、星空や夜景の話題をお届けいたします。

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